ビギーがパフィを残して2PACと契約寸前だった話。

時は1993年、まだ伝説のラッパーとして知られる以前の2PACは、アルバム『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z.』でついにメインストリームでの成功を手に始めたばかりだった。この制作期間中にPACは、自身のユニット Thug Life としてのアルバム『Thug Life: Volume 1』(1994年発売)について構想を練っていた。

2PACはインディペンデントでやっていく自信があった。

Thug Life: Volume 1』と同月にリリースされる事になる『Ready to Die』の制作期間中に BiggieはBad Boy Recordsを去ることを考えていたのだ。

Biggieは完全にストリートビジネスから足を洗っていたが、期待した程の初期収入を手に入れられなかった事に不満を感じていた。
2PACは、Biggieが参加するためにすべてをセットアップした。

2人は複数のトラックを一緒にレコーディングしていたのだ。
2PACBiggieの『Ready to Die』の制作に大きく関わっていた。
Everyday Struggleのコーラスを聞いて見て欲しい。彼がディレクションをしたそうなのだが、確かに2PACが歌いそうなリリックに歌いまわしだ。

確かに2PACっぽいフロウ

もしBiggieThug Life Recordに入り、世界で最高のラッパーと呼ばれるようになれば、2PACはラップを引退する事を本気で考えており、演技とファッションに集中したいと考えていたそうだ。2PACは、彼の持つソースをBiggieに全て委ね、彼を真のラップ界のキングに押し上げようとしていたのだ。

しかし、BiggiePuffyとキャリアを進む事を選んだ。もし、この時にBiggieの選択が2PACと共に歩む事になっていれば、東西抗争も起きなかったかもしれない。
Ready to Die』と『Thug Life: Volume 1』がリリースされた数週間後に、悪名高いクアドスタジオでの2PAC襲撃事件が起きたのだ。

それ以降2人の関係は悪化の一途を辿る。

しかし、2PACは96年9月13日に殺害される前の9月4日にNYを訪れ、MTVのアワードで会ったビーフ中のNasと前向きな話をし、このビーフを終わらせる気だった。
Nasは自身と2PACとのビーフを終わらせるだけでなく、問題が大きくなっていくこの東西抗争を終わらせようと働きかけていたのだ。
2PACが殺害される翌日に、Nasはベガスでもう一度2PACと話し合うスケジュールを組んでいた。

残念ながら、その約束も虚しく、2PACはベガスでのMike Tyson戦の帰りに銃撃され帰らぬ人となって知ったのだった。

これは、HIPHOPの歴史を変えた、最大の『もしも』の1つであろう。

Biggie2PACと同じレーベルに入っていたら。またNasとの会談が1日でも早かったとしたら。

HIPHOPの歴史は凄まじく変わっていたであろう。

歴史にもしもは無いが、もし運命の歯車が噛み合っていたとしたら、現在とは全く違うシーンになっていた事は間違いないだろう。

短い間ではあったが、この2人が及ぼした影響はとてつもない。あれだけの短期間でHIPHOPをメインストリームに押し上げた2人の神様。

天国で仲良くブランツを回していて欲しいなと心から願っている。